言葉が持つ力の意味について

こんにちは。山口市役所ちかくで司法書士をしている山本崇です。

私は司法書士として民事裁判の法廷に立つことがあります。これは司法書士試験に合格した後、簡裁訴訟代理等認定考査に合格しているからできることであって、簡易裁判所で行われる民事事件についてのみ訴訟代理人として活動することができます。裁判の現場では簡易裁判所だろうが、地方、高等、最高裁判所であろうが、さらに民事事件であろうと刑事事件であろうと、言葉の持つ力がとても重要になってきます。訴状や答弁書などに書かれる言葉、表現については誰が読んでも書いた人の意図が正確に伝わるように、慎重に言葉を選ぶ必要がありますし、法廷で発言する際も相手方や裁判長に、こちらの意図が正確に伝わるように十分配慮する必要があります。自分の言葉の選択がたった1か所適切でなかっただけで、裁判の流れがまるっきり変わってしまうというそういう世界ですから。

私たちは普段何気なく日本語で発言し、文章を書き、またそれらを聞いたり読んだりしていますが、言葉の持つ力については私たちが考えている以上に人間生活に重大な意味を持つものだと常々思っています。ここで、最近お近づきになることができた長野県安曇野市在住の種田山頭火研究者の方がおっしゃっていましたことを紹介したいと思います。

2020年4月に福岡県篠栗町で起きた5歳男児の餓死についての事件の裁判が現在福岡地裁で行われていますが、その幼くして亡くなった5歳の男の子が命の尽きる直前に発した最後の言葉が「ママごめんね」であった。この「ママごめんね」という言葉をネットで検索したりAIのコンピューターに解析させたとしても、この事件についての記事は出てくるかもしれませんが、それ以外は何も出てこない、ネットの世界では、なんの重要性もない言葉として判定される。しかし、人々はこの「ママごめんね」というたった6音の言葉を新聞記事などで読んで、強い印象を受けるのである。それはわずか5年で生涯を閉じた男の子の人生が、この6音の中に詰まっているからだとのことでした。

この山頭火研究者のご意見には私も強く賛同せざるを得ません。私たちは普段仕事でもプライベートでも言葉が存在することで自分の周りの世界を成り立たせることができています。ですが、言葉の持つ力について、多くの人はあまり意識していないのではないでしょうか。政治家などが不適切な発言をしたときに、「撤回します」などと言って釈明しますが、一度発せられた言葉を撤回するなどということは原理的に不可能な事であって、言葉を使うことを仕事とする政治家が軽はずみな発言をすることも問題ですが、それを撤回しますなどという何の意味もない言葉で片付けようとするところに強い嫌悪感を抱きます。

司法書士の本業は登記業務であって、登記申請自体はかなり定型的な業務ですので自分でどの言葉を選択しようかなどということがない分野ですが、今回、安曇野の山頭火研究者と少しばかり深くお話をさせていただく中で、さくらばたけ事務所に来られるお客様に私が伝える言葉や上記に書いた裁判業務での言葉の選び方など、私も今一度言葉の力が持つ意味というものをよく見つめなおしたいと思いました。

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