ルーツを求めて(平郡編)

こんにちは。山口市役所近くで司法書士をしております山本崇です。

突然ですが、どうやら私のルーツは山口県柳井市沖の瀬戸内海に浮かぶ小さな島、平郡島にあるようです。もっとも、私の本籍地は山口県大島郡でして、今でもそこに父方の祖父母の家があります。現在は誰も住んでいませんが、私の父がときどきミカン畑の世話をするために山口から出かけたときに使っています。また、父方の親戚は現在も大島郡内に住んでいます。もっともかなりの遠縁ですが。

なぜ、このような話をするかといいますと、今年の2月に柳井市の会社の社長さんから、山口市内の土地を買いたいというお話をいただき、その売買については不動産屋さんなどの仲介業者を通さずに売主さんと直接取引したいので、売買契約書なども作成していただきたいとの話でした。その社長が購入を希望された土地は登記地目が農地であったため、まずは農業委員会に許可を取る必要があり、知り合いの行政書士さんに手続きをお願いしました。その後売買契約書の作成や登記手続きを進めていてその社長さんが、柳井市の平郡島出身だというお話をうかがいました。平郡の歴史に関する資料などもいただき、読んでみたのですが、歴史的にはかなり古い島で平安時代後期の文献には登場しているようです。島内の遺跡からは縄文土器も出土しているそうですが、当然ながらその頃の事は文献による資料がありませんから、推測でしかないですが。

とにかく、いろいろとお話をうかがっているとその社長さんはとても平郡島に情熱を注いでいらっしゃる方だということが分かり、また、ぜひ一度平郡島に来てもらいたいということまでおっしゃってくださいました。たまたま、2年くらい前に相続のお手伝いをさせていただいたお客様の土地が平郡にあり、そのことを社長さんに伝えると、その方は自分の本家筋にあたる方ですとおっしゃるので私もがぜん興味が湧いてきて、これは一度行っておかねば!ということで、6月18日に行ってきました。朝8時半に柳井港に集合ということでしたので、当日は早朝4時に起きて5時前くらいからとことこと車を運転していきました。余談ですが、私の祖父母が住んでいた周防大島は昭和51年に大島大橋ができるまでは船で渡るしか手段がなく、子どものころに祖父母宅に帰省する際は毎回柳井港からカーフェリーに乗って行っていました。それ以来柳井港を利用したことがないわけではないですが、フェリーに乗るのもかなり久しぶりだったの船上での気分は最高潮でした!ちなみに、今回の旅は私とその社長さんだけではなく、他にも7,8名くらい参加者がおり、ちょっとしたツアーのようでした。まず、最初に重道八幡宮というところに案内していただきました。その際、その八幡宮の由来などが書かれた看板を運び鳥居の付近に仮置きしました。また、別の機会にきちんと設置するそうです。

その後、社長さんのご自宅(現在は1か月に1度くらいしか帰っていないらしいですが)で一息ついて、その後、その後自宅に裏にある山にみんなで登りました。といっても登山ではありませんで、山の中腹にある寺院跡を見に行ったのです。全員手袋に腕抜き、顔を覆う網付きの帽子で完全武装して、手には鎌やナタ、剪定ばさみなどを持ち、道すがら邪魔になる木や枝を切り落としながらの往路でした。寺院跡には完全に崩壊したお寺の建物らしきものが確認できました。トタンが使ってあったようなので、意外と最近(といっても数十年でしょうが)まではきちんと寺として機能していたのでしょう。このお寺は現在、島の東側のふもとに移されて海蔵院という名前となっています。行きもなかなか大変でしたが、帰りもなかなか大変で数十センチ程度とはいえ滑落する方も何人かいらっしゃいました。下山?後は、社長さんのご自宅でみんなでお昼です。レトルトのカレーですが、こういう自然豊かなところで大人数で食べるとおいしく感じられるから不思議です。昼ごはんの後少しだけ付近を散策。その後はみなさん城跡目指して再度山に登りに行かれましたが、私は日帰りでしたし、柳井港行きの最終便が午後2時30分出発だったので、同じく日帰りだった柳井市役所の方と一緒に帰りのフェリーに乗り込みました。行きに柳井港を出るときはとくに何も思いませんでしたが、平郡を離れるときは感慨深いものがありました。

なお、社長さんに鯛を1尾まるまるお土産としていただき、うちだけでは食べきれなかったので高校時代の同級生におすそ分けして、平郡の事を話すと、自分も行きたい!と言うので、梅雨が明けたあたりで再度訪問してみようと思います。そのことを社長さんに電話したら今度は発掘作業があるよとおっしゃっておりました。これまた楽しい旅になりそうです。

 

 

 

 

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