山口支部総会の報告文

こんにちは。山口市役所そばで事務所を開いております、司法書士兼文筆家の山本崇です。

以前からときどきブログでも紹介していますが、山口県司法書士会の機関誌「桐友」の8月号に、司法書士会山口支部の役員として6月に開催した支部総会の報告分を寄稿しましたので、以下に引用しておきます。最初にお断りしておきますが、とても長いです。

 


令和4年6月15日に山口市の白石地域交流センターで山口支部総会が開催されたのでその報告をしておきたい。最初にお断りしておくが、半分以上は支部総会とは関係のない話がだらだらと続く。

 

昨年の5月から山口支部の支部長をしている。とはいえ、就任以来、まともに支部長としての仕事をしたのは秋の恒例行事である非司調査くらいである。その調査を主宰したのは山口支部ではなく山口地方法務局であって、私は調査に参加してくださる会員の方を募り、事務局に連絡しただけ。これが仕事といえるのかどうか怪しい。正直なところ、支部長というものが何をする人なのか自分でもいまだによく分かっていないところがあるし、昨年5月に前支部長から引き継いだ資料は段ボールに1箱もあり、その時点で資料をつぶさに点検する気力が霧散してしまった。

支部長を引き受けた時点で私がはっきりと認識していた支部役員固有の役割としては、支部研修会を開催すること、秋口に毎年行われている「法の日」相談会を実施すること、そして支部総会の開催くらいである。ところが、幸いというか災いというか、第1次世界大戦直後に始まった、いわゆるスペイン風邪以来の新型感染症に世間が右往左往しているということもあり、昨年度は支部研修会と「法の日」相談会の開催を見送った。明確なイメージはなかったが、開催を強行した結果、参加者が集団感染するのはまずかろうと判断した。この判断が正しかったかは正直分からない。

 

あくまでも個人的なことではあるが、今年の2月末に私自身の家族にも陽性者が出た。最初に陽性となったのが次男であったので、彼が通う保育園が感染源であることは明らかであった。陽性の結果を受けて翌日は次男を除く家族全員が検査を受けたが新たな陽性者はいなかった。この時点で保健所から家族全員2週間の自宅待機をお願いされた。強制ではなくあくまでもお願いである。事務所も開けるわけにはいかないので、事務員には電話で2週間の事務所閉鎖を伝えたうえで、どうしてもやらないといけないことに対応するため、必要な仕事道具を自宅に持ち帰った。ところが、その翌日に妻が体のだるさと微熱を訴え、さらに翌日には明らかに体調を崩してきたため、再度検査を受けたうえで彼女も陽性と判断された。

次男とは異なり発症しているため、妻自身の判断でホテル療養することになった。都道府県によって対応は異なるのであろうが、妻の場合は約10日間ホテルにこもらなければならなかった。ホテル療養をするかしないかはあくまでも本人の判断に任せられるようであるが、いったん入ってしまうと、ホテル暮らしは退屈だ、自宅に帰りますと簡単にはいかない。ホテルの駐車場には常時警備員がおり、関係者や療養者の家族以外は近づけないようになっていたし、療養者の家族であってもホテル内に入ることはおろか、車から降りることすらできないようにされた。

10日間も妻がいないとなると、鬼の居ぬ間の洗濯ではないが、私としては自宅でのびのびできるわけで、内心ワクワクしていた。ところが、実際にやってみると、子ども2人は学校にも保育園にも行けないため1日中家にいる。その間の家事と子どもの世話をやってくれる人は当然ながら私以外にいない。私自身にも仕事はある。となると、この10日間をいかにして安寧に過ごすかが問題となる。なかでも一番苦痛だったのが三度の食事である。早起きは得意なので気にならないが、いつもより早めに起きて米を研いだり、みそ汁を作ったりと朝ごはんの準備をする。子どもたちが起きてきたら食事をさせ、その後すみやかに食器を洗う。そして、洗濯や掃除をこなし一息つくと、今度は昼ご飯のメニューを考えないといけない。メニューが決まれば買い出し。それから自宅に戻って食事の準備、みんなで食事、皿洗い。昼ごはんが終わって、自分のことをちょこちょこっとやって、ふうと深いため息をつく間もなく、晩御飯のメニューを考える。こうした事を毎日やっていると、私は朝から晩まで食事のことばかりに時間を取られているような錯覚に陥る。いや、錯覚ではなく実際かなりの時間を食事のことで費やされていた。

フルタイムにしろパートタイムにしろ、外で仕事をしながら家事や育児をしている世の中の女性というのは、ずいぶんとすごい事を平然とやってのけているのだなと感心してしまう。そして、まさに私の事務所にもそうした女性がいるわけだが。

 

とまあ、こういったことが年初からあったために、今年度の支部総会については正直あまり気乗りがしなかった。支部総会直前に私や家族が再び陽性となり外出が制限されてしまうと、支部総会自体はどうなるのだろうかと考えて、できることなら開催しないでおきたい。そんな折に本会から、今年度の支部総会を開催するか否か回答せよとの通知が来たために、安易に開催しない方向に乗ってしまった。

その後しばらくしていろいろ様子をうかがっていると、どうも山口支部以外はすべての支部が総会を実施するらしいということが分かった。で、改めて支部規則を確認してみると、「支部長は、毎年一回定時総会を開催しなければならない。予算及び決算に関する事項、支部規則の制定及び変更に関する事項は、支部総会の議決を経なければならない。」とある。この規定ぶりだと、1年に1度も定時総会を開催しないということは不可能だ。ならば、なぜ支部総会を開催するか否かなどという質問が届いたのか疑問でならない。どうも、一堂に会しての総会を実施するのか、それとも書面決議での総会にとどめておくのか回答せよというのが本会の意図するところであったようだ。その時の文書が手元に残っていないので詳しいことは分からないが、おそらく私が読み誤ったのだろう。

いずれにせよ、この支部規則の規定ぶりで書面決議による支部総会が有効に成立しうるかどうか判断できなかったうえ、書面決議とするには支部会員に十分に考える時間を与える必要があるだろうから、年度変わりのあたりから準備すると総会に代わる書面決議が成立する時期がかなり遅くなってしまう可能性があると思い、慌てて総会を開催する方向へ舵を切った。そのため2人の副支部長にはとんだ迷惑をかけてしまった。そこは大変申し訳なく思うのである。

なんだかんだといろいろ調べたり、前支部長に教えを請いながら支部総会の準備を進めていると、どうやらほとんどの会員が委任状を提出し、総会に出席していただける会員は私を含めてほんの6,7名だけであることがはっきりしてきた。出席していただける会員の数が少ないと総会運営もしやすくなるので、ある意味楽ではあるのだが、あまりに少な過ぎると困ることも出てくる。要するに役者が足りないのだ。総会を開催するには、議長、司会者、開会宣言・閉会宣言を行う副支部長、事業計画を説明する支部長、会計報告をする副支部長、監査報告をする監事、議事録署名人2名と最低でも8人は必要となる。開会・閉会宣言をする副支部長と会計報告をする副支部長は兼務できるにしても、一般会員にお願いしないといけない議長、司会者、議事録署名人と合計4名は役員でも監事でもない方に出席していただかないといけない。慌てて欠席となっていた方2名にお声がけをし、出席していただいた。

これだけ出席者が少なくなるというのは少々誤算ではあったが、かなり小規模での開催となるのは事前に分かっていたため、防長苑のような大きな会場を借りるのはもったいない。今年度は山口市の白石地域交流センターを借りることにした。ここは毎週ではないが土曜日に山口日仏協会主催のフランス語講座が行われているところなので、なにかとなじみがある。何しろ山口市の施設なので利用料がとても安い。なので申し込むことにする。いざ申し込むにあたって、当日冷房を利用するか問われ、利用するといくらかかるのか尋ねたところ3000円以上も必要と言われたので当然断る。なんともケチケチな総会運営であるが、この1年の間に支部の行事として行った活動は非司調査の参加者を募ることだけだったので、極力出費を抑えたいと思ってしまうのである。

総会当日は、会場のすべての窓を開け放ち、どうしても暑ければ冷房を入れるので遠慮なくおっしゃってくださいとお断りをしておいた。結果的に出席者の方全員が協力してくださって、最後まで冷房は使わずに済んだ。総会自体も前年度の総会以上にスムーズに済んだように思う。さすがにまったく質疑応答がないのは寂しいとご配慮してくださったのか、出席者の方から1つだけご質問をいただいた。

なんとも支部長らしいことを何一つしなかった1年だが、この先の1年はもっと支部の活動を活発にやっていこうと強く思った。そのことは、総会後すぐに開いた理事会でも伝えておいたつもりだ。

 

全然話は変わるのだが、7月中旬に山口大学で教鞭を取っているフランス人に会う機会がありいろいろ話を聞いた。フランスでも日本と同様に第7波が少し前から来ており、毎日大勢の人が罹患し、大勢の方が亡くなっているそうだ。しかし、もはやフランスではマスクをしている人はいないらしい。フランス人はみんな完全に日常生活を取り戻しており、この感染症には完全に無関心となっている。現実から目をそらしているわけではない、そんなことにかまけていられるほど彼らは暇ではないのだ。そのフランス人教官曰く、「たしかにマスクをせずに日常生活を送ることで感染するリスクは高まりますが、感染しても3,4日寝込んでいればいいとみんな考えています。亡くなる人もいますが、亡くなる人は感染する以前から病気なのです。私も、私の両親も、甥も姪も感染しましたがみんな元気です。祖父は亡くなりましたが、彼は感染する以前から病気でした。そんなものです」と。デカルトやパスカルを輩出したフランスらしい合理的な考え方だなと思う。この病気を甘く見ているつもりはないが、こうした話を聞くと、今後1年の支部活動についてもあまり萎縮せずに考えていいのかもしれない。日本人は何かあった時の責任が、などと考えるのが好きだが、そんなことはそうなってから考えればいいのだし、そもそも私が世の中にこの感染症を広めたわけでもないのだから、責任もへったくれもない。飛行機に搭乗する際にわざわざマスク着用を拒否して騒ぎ立てるなどというつもりは毛頭ないが、いろいろ深く考えさせられる邂逅であった。

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