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平郡島再訪
こんにちは。山口市役所ちかくで司法書士をしている山本です。
先月のことにはなりますが、柳井市沖の瀬戸内海に浮かぶ離島、平郡島を再訪してきました。前回、訪問したのは確か6月でしたから、3か月ぶりです。6月に初めて平郡島に行ったときは日帰りでしたが、今回は1泊2日の日程です。誘ってくださった柳井市の会社社長さんと8時前に柳井港に集合です。その後、一緒に行ってくださる岩国市の会社経営者さん、いつも一緒に仕事をしている山口市の行政書士さんと合流しフェリーに乗り込みます。以前も書いたかもしれませんが、私の父方の祖父母が周防大島に住んでいたので、今でも頻繁に周防大島には行くのですが、私が子供のころは周防大島へ渡る大島大橋はまだなかったので、やはり柳井港からフェリーで渡っていました。ですから、柳井港には昔からある程度なじみがあります。今でもフェリーなんかに乗るとちょっとワクワクしますね。今回の訪問の本来の目的は農地の現地調査です。
土地の売買や贈与は本来は自由にできるのですが、その土地が農地であるときは農業委員会の許可を取る必要があります。許可を取るにも厳格な要件があり、農地を譲り受ける人が営農者であるとかとても大変です。今回の土地も登記簿上は農地となっていたため、売ったり、贈与するには農業委員会の許可が必須です。そういうときに行政書士さんが現地調査をして許可申請書を柳井市の農業委員会に提出することになります。そのための現地調査に誘われて平郡島を再訪したというわけです。言ってみれば、私はただの付き添いみたいなものです。先ほども書いたように、農地の移転については農業委員会の許可を取るのが基本ですが、現地を調査したところ明らかに農地ではなくなっている(例えば長期間耕作放棄地となっていたなど)ことが分かれば、許可を取るまでもなく、その農地の現況(農地ではなくなっている)証明書を農業委員会に作成してもらえれば譲り受ける人が営農者でなくても自由に取引ができることになり、今回はその現況証明書を取得するための資料作成の事前調査として現地入りしたことになります。
少々説明がながくなりましたが、今回の一行は全員で4名。フェリーが平郡島の西港に入ると、港にいる人に聞き込みをします。柳井市の会社社長さんは平郡島にご自宅をお持ちで頻繁に出入りしているため、顔見知りの方も多くいらっしゃって、今回調査をする土地についての場所への行き方などをいろいろ聞いていました。そこへ行くまでの道もかなり悪く、途中からは徒歩しか手段がないためどのあたりから、どういったら現地につくのかをいろいろ教えていただきました。ただ、いくら地元に長年住んでいるご高齢の方でも今回調査の対象となっている土地への行き方はよく分からないようで、「分からん」とはっきりと言われてしまいました。
とりあえず、行政書士さんが準備してきていた航空写真と公図や国土地理院の地形図などを頼りに、この辺りではないだろうかと考えて、社長さんの運転する車で出かけることにしました。どうも航空写真で見ると、車で一番近くまで行って、そこから現地を目指して歩くと、電線を設置するために線状に切り開かれた土地がありそこからさらに海側に行くと少し高台になったところに切り開かれた平坦地があるようです。それだけが今回の目印です。現地の緯度経度まで事前に調べていればよかったのかも知れませんが、そこまでは考えていませんでした。車を降りてひたすら歩くのですが、とにかく道なき道を行くという言葉通りで、まるで川口博探検隊のようです。途中で、電柱と電線が見つかりましたから、私たちの目指す方向は間違っていないようです。そこから、持参した鎌やのこぎりや鉈で雑草や木の枝などを薙ぎ払いながらさらに進みます。一旦、もしかしたらこの辺りがそうじゃないかという場所が見つかったのですが、行政書士さんが持ってきた地形図と照らし合わせるとつじつまが合わない。地形図では目的地は少し高台に位置するはずですが、ここがそうじゃないかと思われた土地はむしろ周りの土地よりも低いところにあります。それでもう少し海側にさらに行ってみようとなり、どんどん進みます。どんどん進んでいると、ボロボロの廃屋というか作業小屋が見つかりました。私が子供のころに祖父のみかん園を手伝っていた時によく見たみかん小屋のようで、中を覗くと今回の土地所有者さんの名前が書いてあるプラスチック製のみかん箱がいくつもありました。それで、この場所で間違いない!地形図とも矛盾しないということで、ようやく目的地に到着しました。一応、どこからどこまでが今回の土地かを調べるために、あたりを少し詳しく回ってみました。6月に平郡島を訪問した時に地元の人から教えていただいていましたが、かつて平郡島では山の上の方まで段々畑が広がっていたそうです。ですので、今回の対象土地も段々の石積みを頼りに境界を確認することができました。今では人々が暮らす西地区と東地区の集落以外は島一面うっそうとしたジャングルのようになってますが、往時の平郡島を想像するとちょっとわくわくします。昔はミカンなどの果物などを作ることで島の人々の生活が成り立っていたんだなと思うと隔世の感があります。私の祖父母も周防大島でミカンを作りながら私の父を含めた子供5人を育て上げています。のんびりとした時代だったのでしょうね。そのころがよかったのか、それともそのころよりも今の時代の方がはるかにいい世の中であるのか、考え方は人それぞれですが、私は何となく昔ののんびりとした時代の方が好きかもしれません。
現地調査を終えると社長さんの案内で、蛇の池という池に案内してもらいました。この池は目の前が瀬戸内海で、海とは10メートル程度の陸地で区切らせているだけですが淡水の池です。今まで一度も水か枯れたことがないそうです。また、池の中には大蛇が住んでいるという言い伝えがあり、その大蛇は石なんかは平気らしいですが、金属が大嫌いなので、池に金属を投げ入れると怒って出てくるそうです。それを聞いて、何となく子供のころに聞いた「あなたが落としたのはこの金の斧ですか、それともこちらの銀の斧ですか」という昔話を思い出しました。
蛇の池の見学を終えてから、社長さんの生家に行き、みんなでお昼御飯です。行政書士さんは女性なのでそこに1泊するのはちょっとためらわれるということで普通に食事しましたが、他の3人は昼間から少々お酒を飲みました。昼ご飯の時の話題はやはり平郡のことです。今回誘ってくださった社長さんは平郡で生まれたということもあり、とても平郡を愛していらっしゃいます。この時に食事した社長さんの生家も社長さんが2歳の時まで済んだだけで、その後は一家で柳井市の本州側に移り住んだそうですが、10年程度まえに他人の手に渡っていたこの生家をわざわざ社長さんが買い戻して、時間のある時に平郡に行きいろいろ手を加えて住めるようにしたそうです。昔のかまどや井戸もありますし、中庭には池もあります。古い道具もおおむね使用できるように手入れがされていました。お風呂には脱衣場がなく、出入り口の戸や窓がすりガラスではないというのもあるので、女性が利用するのはちょっと難しそうではありますが。ちなみに、この社長さんの生家のある平郡西地区と違って東地区には一応民宿が2件あるようです。さらに、東地区の小学校は今まで休校してましたが、来年4月からは1年生が1人入学するので久しぶりに再開されるそうです。
昼ご飯を食べてから少しのんびりしていると、山口市に帰る行政書士さんのお見送りです。何しろ、平郡西港から柳井港への最終便は午後2時半に出ますので。行政書士さんを見送ってから、社長さんの生家で少しだけお昼寝。昼ごはんの時にお酒を飲みましたのでみなさん眠くなったようです。夕方に、裏山にある鎌倉時代の城跡まで行く道を案内するためにみんなでピンク色のテープを持って、要所要所の木の枝なんかに結び付けていきました。ただ、やぶ蚊が活動しやすい時間なのか気温なのか知らないですが、午前中の農地の現地調査の時とは違って、やぶ蚊に大量に襲われて、30分程度であきらめて下山しました。
その後は、岩国市の会社経営者さんに誘われて波止場で釣りをしてみました。子供のころにはよく釣りをしていましたが、もう数十年もやってなくてどうなるかと思いましたが、小さな魚が何とか3匹だけ連れました。地元の人に聞いてみると、昔は波止場でそこそこの魚が釣れたそうですが、今では釣り船で沖に出ないと大物は釣れなくなってしまったそうです。
その後、夜は地元で採れたイノシシで焼肉をしてみんなで楽しく晩御飯を食べました。みんなお酒が入っているので少し早めに寝て、翌朝目覚めて居間に行ってみると、部屋の隅にフナムシがいたのもまた一興。とても楽しい平郡島1泊の旅でした。そして、会社社長さんの平郡島に対する情熱はこれからも覚めることなく続きそうです。ぜひ、社長さんの力で平郡を盛り上げていっていただきたいと思います。私もできるだけご協力出来たらいいなと思った次第です。