阿蘇耐久遠歩

おはようございます。山口市中河原町の司法書士山本崇です。昨日事務員さんと雑談をしてて熊本時代の話が出たので当時のことを思い出しました。私が熊本にいたのは大学に通っていた4年間で、1991年4月から1995年3月にかけてのこと。ちなみに、当時熊本に新幹線はありませんでしたよ。

熊本市というところは、福岡や東京、大阪などの大都会と違い、都会過ぎず、かといって田舎でもなく、私にとってはとても暮らしやすい大好きな都市でした。大学時代の思い出はいろいろありますが、一番の思い出はタイトルに書いた阿蘇耐久遠歩でしょう。この遠歩がどういうものか説明しますと、熊本大学は11月1日が開学記念日でして、その日から3日間大学祭(当時は黒髪祭(こくはつさい)と言っていました)が催され、そのプレイベントとして実施されていたものです。熊本大学の学生と教職員の希望者が阿蘇山中岳火口から大学の正門(赤門といいます)まで自分の足で踏破するというもの。一応希望者のみが参加するのですが、体育会系の部活に所属している1年生はほとんどの場合部の方針として強制参加させられます。私も体育会系の部活に所属していたため、選択の余地なく強制的に参加させられました。同じ部活で1年生は私を含めて5人。今でもこの5人は仲良しです。

前日である10月31日の夜10時くらいでしょうか、参加者は大学のキャンパスに集合して主催者(当時の主催者はワンダーフォーゲル部でした)が用意した大型バスに次々と乗せられ阿蘇山中岳火口まで連れていかれます。バスの車内は当然ながら陰鬱な雰囲気です。火口に到着し、全員バスから降りると、バスはそのまま市内へ帰っていくので、あとは自分たちで歩くしかありません。深夜0時、スタートの合図とともにみんな歩き始めます。約60キロの長丁場ですから、当然喉も乾きますしお腹も空きます。飲み物については事前に準備してリュックサックなどに入れてたと思います。食べ物については準備する人もいたと思いますが、多くの参加者は部の方針による強制参加だった代わりに、部活の先輩が車やバイクで差し入れしてくれました。私たちの場合も差し入れしてもらったので準備はしませんでしたね。コンビニなんかがあればいつでもおむすびを買えるわけですが、なにしろ阿蘇山山上ですからセブンイレブンなんてあるはずもないですし、当時は今ほどコンビニは多くありませんでしたので、コンビニを利用するという発想自体がなかったです。あと男子学生を中心にかなり多くの参加者はお酒(主に焼酎)を持参していました。九州人が多いからでしょうかお酒好きが集まってたのでしょう。私たちはワインを持っていきました。

陸上部の参加者など、スタートの中岳からゴールの大学までずっと走ってる人もいて、早い人では午前6時前にはゴールしてたらしいです。11月ですから夜明けと同時くらいのゴールでしょうか。私たちはみんな体力がないのでひたすら歩きました。夜が明けて7時、8時くらいになると先輩たちも面倒になって差し入れしてくれなくなりますので、自分たちで食料を調達する必要があり、やはりコンビニなんて思いつくこともなく(阿蘇山上から大学まででコンビニを目にした記憶がないです)、熊本が誇る優良企業、お弁当のヒライなどで食べ物を買って空腹を満たしていました。最終的にゴールしたのは夕方4時くらいだったと記憶しています。道中一番つらかったのは、体力面でもなく空腹でもなく眠気でした。ゴールするころには先輩たちも大学に集まってて少しばかりの歓待を受けたのですが、とにかく早く自宅に帰って寝たかった記憶があります。

なかなか無謀な企画だったなあ、事故や事件のリスクもあるし、今ではもう行われていないだろうと思って昨夜ネットで調べてみたところ、どうやらいまだに開催されているようです。伝統行事になっているとか。当時そんなの考えたことありませんでしたけど。さすがに60キロ遠歩に再度参加したとは思いませんが、地元で行われている下関海峡ウォークくらいなら参加してもいいかなと思います(実際に10年位前に妻と二人で参加しました)。ちなみに、女子学生は体力面を考慮して原則30キロコースでの参加でしたが、60キロのフルコースを志願するつわものも少なくなかったです。

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