フィネガンズ・ウェイク

こんにちは。山口市中河原の司法書士山本崇です。少し間をおいてのブログ更新となりました。今回は司法書士の仕事から離れてまったく関係のない話となります。

ジェームス・ジョイスという作家をご存じでしょうか。20世紀前半に活躍したアイルランド出身の作家でフランスでも活躍しました。代表作に『ユリシーズ』や『ダブリン市民』があります。私も学生時代にこれらの作品を読んだことがあります。そんな彼の作品の一つに『フィネガンズ・ウェイク』があります。これについては私自身は原語でも日本語訳でも読んだことがありません。ただ、大学の仏文学研究室に日本語訳の単行本が置いてありましたので、冒頭部分だけは読んだことがあります。が、いったい何が書いてあるのか分からない。正直意味不明です。少しだけ引用してみましょう。

「川走(せんそう)、イブとアダム礼盃亭(れいはいてい)を過ぎ、く寝る岸辺から輪ん曲する湾へ、今(こん)も度失せぬ巡り路(みち)を媚行(ビコウ)し、巡り戻るは栄地四囲委蛇(えいちしいいい)たるホウス城(じょう)とその周円(しゅうえん)。」

いかがでしょうか。意味が分かりましたでしょうか。ジョイスが『フィネガンズ・ウェイク』で使用している言葉は彼の母語である英語だけではありません。フランス語やギリシャ語、ラテン語さらには日本語も織り交ぜて文章を書いています。また、ある単語を逆から読ませたり、日本語の単語を他の外国語の単語として使用していたりと多種多様です。そのうえ欧米文学には不可欠なキリスト教の知識やその他の宗教などの知識も必要となり、およそ読者に読ませるような文章ではありません。この作品の日本語訳には井上ひさし氏が文章を寄せているのですが、曰く「私は三人の翻訳家を知っていた。三人とも『フィネガンズ・ウェイク』を日本語に移そうと志し、この言語の巨大な森へ、ことばの大迷路へ、ヨーロッパ数千年の全歴史を一夜の夢に圧縮した複雑怪奇な回路へ、分け入って行った。それから十年、一人はことばの重みに圧し潰されて神経を病み、一人は迷路の罠にかかって消息を絶った。」とあります。この作品を日本語に翻訳するのは相当な苦難の作業であったことが分かります。学生時代にこの井上ひさし氏の文章を読んで、妙に納得した記憶があります。こんな摩訶不思議な作品を翻訳したら精神を病んでもおかしくはないなあと。学生の頃は研究室に『フィネガンズ・ウェイク』の原書もありましたので日本語訳と比較しながら読んだことがありますが、この翻訳はよくできているなと感心したものです。つい最近になってこの作品をふと思い出しamazonで日本語訳の本を取り寄せました。相変わらず難解な作品です。全部読んでみようかなとも思うのですが、読破したときにどういった読後感があるのだろうか、何も心に残らないのではないだろうかと少し不安でもあります。もし、みなさんも機会がありましたら、『フィネガンズ・ウェイク』の日本語訳を原語と比較しながら読んでみてください。

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